暦の上での立春も過ぎ。
一昨日は節分。
久し振りに深川成田山のお豆を用意しておりましたので今年は家族そろって「鬼は外 福は内」致しました。
邪気を払い福を呼ぶ節分に続き恵方巻。
今年は南南東、どの方向に向いて戴いたらいいのやら?などと話しながらモグモグと。
それもしっかり輪切りにした恵方巻。これではただの海苔巻きですわよね^^。
これで良い事あるかしらん?
暖冬とはいうものの夜半になりますとさすがに冷え込んで参ります。
お稽古で遅いときは寒さ対策にもいつもの結城紬の出番となります。
こちらの着物は紫の部分が貝紫~帝王紫とも云われておりますね。

赤みの強い鮮やかな紫です。
紫根染と貝紫
紫根染
人類が誕生していつのころか人々は美しい色彩に囲まれて暮らすことを求めてまいりました。化学染料が発明されるまでは野に咲く花や草木からとりだす植物染料を使って布を染めていましたね。
中でも昔から高貴な色として尊ばれてきた紫は紫根染と云って多年草ムラサキの植物の根からとった染料で染め上げたものでした。
これがまた大変手が込んでいて紫根の色素で染め、椿の灰で媒染する。
美しい紫色に仕上げるには何回も染めと媒染による色の定着を繰り返すと云う何工程もの手作業を繰り返し繰り返し行って手に入れることが出来るその希少性ゆえに大変大切にされてきました。
貝紫
植物で染めるというのは受け入れやすいのですがこれとは別に貝からも紫の染料が取れたのですね。
アクキ貝科の内臓のパープル腺と呼ばれる大変毒性の強い神経を麻痺させる作用がある特殊な腺が太陽に当たると紫に変化するため用いられたというのです。
しかしながらこれまた1グラムの染料を得るのに2000個もの貝を必要とする気の遠くなるような作業の為大変貴重で高価なものだったのです。
これらの染色はフェニキアと云う国を始めエジプト・ギリシャ・ペルシャそしてローマ帝国と広まっていきました。
よく耳にするのがシーザー暗殺後にアントニウスはエジプトに帰っていた女王クレオバトラを呼び寄せるのですが、そのときクレオパトラを乗せた船の帆も貝紫で染められていたといわれている話。一体いくつの貝が使われたのでしょう( ;∀;)。
それにしても「最初は一体どうやって貝から染めようとおもったのかしらん?」と思いませんか。
どうやらアクキ貝科の中には食用になるものがあって毒なる内臓を取るに辺り手に付着したソレが太陽の紫外線に当たると紫に変化するのを発見して染色に利用しようと思ったようなんですね。
ぼやけていますが紫の色素を出すアクキ貝を載せさせて頂きます。

帝王紫探訪:吉岡常雄著より
日本にもアクキ貝科の貝がいくつかありましてイボニシ・アカニシ・クリフレイシとかなんだそうですが志摩の海部さんが悪霊がつかず天候が悪くならにようにと手拭に✡の印をこれらの貝でつけていたそうです。
遡れば弥生時代にも話は繰り下がるのですがこの辺でやめておきます。
つまりとっても貴重な貝紫~帝王紫を使っている結城紬なのです。
後にも先にもこれ1枚しか手にすることはないと思います。
紫根に比べて赤みが強く植物染料とはまた違う綺麗な色。堅牢度はすこぶる良く長い年月を経ても色彩が色褪せることが他の染料に比べて少ないのも特徴です。

着物になるまでの工程を知ると、とって~も大事に扱わなくてはと思います。
でも着物は着てこそ価値があるもの。
染色や織などの事を少しでも知った上で身に纏えば着物が喜んでくれますよね。きっと。
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